2016.01.30

あさが来た 102話 感想 「雁助はん加野屋を去る。新たに成澤泉が登場」

あさの洋装姿はなかなか似合ってましたな。
「歩きやすいこと」とあさは言うてたけど、
着物でも時には大股に歩いていたあさは、
洋服を着たらもっと大股になるかもな。


雁助はんはついに加野屋を去ることに。
寂しいなぁ。


去り際にあさが苦手だったと千代に話した雁助だけど、


そやのにどっか楽しゅうてたまりまへんだした。
お母様の働いてはる背中、よ~う見ときなはれや



雁助はあさのことは苦手だったが、
あさの前向きな明るい性格や、
一生懸命働く姿は認めていたんだろうね。


幼い千代には雁助の言葉は
よう分からんかったかもしれんけど、
いつの日か思い出すこともあるかもな。


新次郎は尼崎へ行き来していたが、
大坂の名だたる経営者30人の集まりのなかでも、
とても信頼されていて、
新しい紡績会社の初代の社長はんに\(◎o◎)/
新次郎はんは、不思議な魅力のあるお方だす。


そして3年が経ち、
加野銀行は大坂で10本の指に入るほどに。
商事部門も順調。
榮三郎とさちの間にも、かいらし女の子が生まれた。


千代もしっかりしたお嬢様になったけれど、
相変わらずあさとはにらめっこが続いている。
新次郎が変顔しても笑わへん。
雁助はんの去り際の言葉も、
どっかへ吹っ飛んでましたな。


そして、成澤泉が新たに登場。
「婦女子の務め」という本を持っていたけど、
女子教育に力を入れそうな予感。


ちょいと検索してみたら、成澤泉は、
日本の女子教育に貢献した
成瀬仁蔵(なるせじんぞう)がモデルになっているそうな。


成澤はアメリカに留学すると話していたけれど、
成澤のモデルになった成瀬仁蔵も留学していました。
『1890年(明治23年)にはアメリカへ渡る。
アンドーバー神学校、クラーク大学で教育学や社会学、
キリスト教などを学び、ユニテリアン的な思想を身に付け、
各種社会施設も視察して女子教育研究を行い、
1894年(明治27年)に帰国』Wikiより



あさと成澤との出会いは、まだ先だけど、
成澤は、日本女子大学の創設者の成瀬仁蔵がモデルだから、
あさはすごく影響を受けそうだすな。


102話の中では3年が経過したけれど、
雁助はんも伊予で幸せに暮らしているといいねぇ…。


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